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熊本県菊池地域振興局では、なぜ菊池・隈府に菓子店が多いのか、その歴史や背景を紐解くことで菊池の魅力づくりにつなげようと、
平成18年度に熊本県立大学に調査を委託。

環境共生学部の西英子講師(当時)と加藤美穂さんら研究室の学生たちが一軒一軒菓子店を訪問して聞き取り調査を行うとともに、地元郷土歴史家からの聞きとりや文献調査などを行い、次のような調査報告書(概要)をとりまとめました。


食文化の流入と菊池独自の文化の形成



 平安時代末期から室町時代後半まで、菊池一族の本拠地として栄えるなど政治・文化の中心であった隈府では、
発達した菊池川などの水運・陸運により都・南蛮など外部との交流がさかんで、多くの人・物の流れがあった。
都から入ってきた様々な文化の中で、食文化においても京のものがもたらされ、菊池の肥沃な土地がもたらす
豊かな農産物と結びつき、菊池独自の食文化が形成された。


各時代、各層の菓子の需要



 隈府を中心とする菊池中心部は、古くは農業に始まり、明治時代以降は製材業、
製糸業など様々な産業が発達し人や物資の集散地であった。
町は城下町のような賑わいを見せ、次のような菓子の需要があった。

富農層の存在
菊池には富農層が存在していた。これらの豊かな農民や小銭をためた商人・地主などは、江戸時代の伊勢参りなどで京や大阪での見物を楽しんだ。これら豊かな層が茶の湯とともに発達した砂糖を使った上菓子を食していたと考えられる。

旅のお供としての保存食
近世に入り、度重なる飢饉・凶作により、農民ばかりでなく藩士も貧しい生活を余儀なくされた。このため、参勤交代の長い道中では、庶民の間で手作りされていた「とじこまめ」や「ゆべし」などの保存食が必要とされた。

庶民の生きがいである祭り
約650年前に懐良親王が菊池入りした時から続く御松囃子御能・座祭りなど、庶民のコミュニケーションの場であり、芸能発表会である祭りは庶民の生きがいであった。祭りは、熊本城下町辺りからも見物客が来るほどの賑わいで、道端での煮売り・だご・焼餅など祭りの露店が更に祭りを盛り上げた。

仕事の疲れを取る癒し的存在
来訪者、地元で畑仕事をする農民、店を構え商売をする人、行商など、多くの人が仕事で疲れた体に甘いものを欲した。 町の食堂や店先でまんじゅうなどの菓子を買い、一息つきながら疲労回復した。



観光客へ向けた菊池ならではの菓子



1954(昭和29)年に菊池温泉が掘削され、菊池市街が活気づいた。
このとき温泉利用客の土産物として「松風」「ゆべし」などの菓子が脚光を浴びる。


特に、「松風」は大量に売り上げを伸ばし、
最盛期には「松風組合」も結成されるなど
地域一丸となって需要に応えた。



まとめ



 このように、外からの文化の流入をきっかけに誕生した菊池・隈府の菓子文化は、各時代・各層のそれぞれの需要に対応するとともに、豊富な農産物がその供給の地盤を支えたことで、絶えることなく発達してきました。

 現在、隈府地区では土産物として全国的に知られる「松風」や「ゆべし」といった菊池伝統菓子を生産する菓子店だけではなく、洋菓子や饅頭などの菓子店も混在することから、温泉掘削以前の庶民菓子および上菓子の文化が息づいていると推測されます。

そんな「歴史」と「自然」が息づく町「菊池温泉」へ、ぜひ一度お越しくださいませ。
      


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